常磐線全線復旧乗車記・浪江駅は今・双葉駅は今①
東日本大地震とその影響
2011年3月11日に日本の歴史は大きく変わった。東北地方太平洋沖地震と甚大な津波(東日本大震災)によって多くの尊い命が失われ、たくさんの悲しみと衝撃を世界中に与えることとなった。
東日本大震災は私たちの生活のみならず、鉄道路線にも影響を与えることとなった。震災により、福島第一原発が破壊され放射性物質が地域を襲うこととなった。そのため、福島第一原発の近くを通っているJR東日本・常磐線は浪江〜いわき間で運休となってしまい、長きに渡って常磐線は不通となったのである。
常磐線の復旧
しかしながら、明けない夜はない。2020年3月14日、常磐線のいわき〜浪江間が復旧したことにより、3291日ぶりに常磐線は東京から仙台を一本の線路で結ぶこととなった。
これには想像を絶するほどの苦難が存在した。線路や駅周辺を除染する必要があったのである。JR東日本も自治体と連携をして5年ほどの歳月をかけて除染と復旧を行い、見事に常磐線を復活させたのである。
日は立ち登る
実際に常磐の地区を赴いてみることにしました。(撮影時期:2020年3月17日)
いわき駅から浪江駅へ
いわき駅からスタートします。いわきは福島県3番目の大都市(福島・郡山に次ぐ)であることから、駅前はとても立派です。
仙台行きのひたち号が私たちに復興の希望を見せてくれます。
いわき駅から普通列車E531系に乗車します。青が東北の綺麗な海を想像させます。
復旧から3日目という浅い日ですが、まだ復興半ばの建物もない街へ来る人は少なく車内もかなり空いています。ある意味一筋縄では復興できないこの災害の甚大さを感じられる一幕だと感じました。
また、乗車中の車窓からも災害の甚大さを感じることができます。沿線の住宅がボロボロになり崩壊している様子です。放射能の被害により、ここは帰宅困難区域となってしまい住むことができなくなったためです。
車窓に見える家や建物は全て人が住むことのできなくなった街です。正直、このような街を見ることができるのは世界的に見てもかなり貴重ですし、学術的にも今以上に調査が進められてほしいと感じます。(生態系的にも)
またトラックも数多く見ます。福島第一原発の復旧工事のためのトラックだと考えられます。
浪江駅
ホーム・駅舎内
浪江駅に到着してまず驚くのは駅が案外綺麗だということです。しばらくの間、常磐線北側の南端として位置していたためでしょう。
駅ホームの跨線橋は歴史を感じますが、綺麗に整備されています。この線路の先を辿れば東京どころか鹿児島へまでも行けてしまうことを考えると、毎度日本の鉄道技術の高さには驚かされます。
ホームには線量計が設置されています。この後もたくさん出てきます。
横断幕も掲げられています。それだけこの地に鉄道が渇望されていた証拠ですし、道半ばですが間違いなく復興のシンボルである、希望を載せる電車に乗ってきたことを直に感じさせられます。
駅前
駅前は小さな町の歴史ある駅という感じです。昔はこの地域では大きな街だったことが窺えます。
加えて常磐線の復旧を喜ぶ飾りもなされています。
昔ながらの大きな駅があると、昔はその街が栄えていたことが窺えます。駅舎の造り(外壁など)も昔を知る術になりますね。
2017年3月31日に避難指示を解除され、まだ3年弱しかたっていないことから街が活気を取り戻しているとは言い難い状況です。
個人的にとても特徴的だと感じたのは至る所に防犯カメラに関する記述が残っている点です。おそらく帰宅困難地域に立ち入り窃盗を行うならず者がいたためだと思います。そのような犯罪が横行して対応に苦慮したという話を町の方に伺ったことがあります。
駅前には線量計があります。ホーム内よりは線量が低かったです。
この地域に旅行する際には、よほど人里離れた場所に行かない限り線量計は必要なさそうです。かなり線量計が整備されています。
ちなみに浪江駅は「高原の駅さようなら」という曲誕生の地だそうです。立つと自動で音楽が流れ始める仕掛けになっており、とても面白いと感じました。しっかり整備されているところから街にとって大事なものであることを強く感じます。
バスは毎週月・水・金に運行のようです。しっかり公共交通の使命を担う頑張りに感動しました。
Part.2では双葉駅の様子をご紹介します。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。Part.2では一つ南の双葉駅の様子について紹介していきます。
更新は11/29を予定しています。ぜひお読みいただいて、福島の様子を知る機会にしていただければと思います。
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